STORY ストーリー
奈良県の南東の端にある下北山村。大阪や名古屋からは車で約3時間、奈良市からは約2時間半かかるが、山間部の奥地へと進むぶん、自然が圧倒的に豊かだ。村の西部に世界遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」に含まれる大峯奥駈道があり、村内の約半分が吉野熊野国立公園に指定されている。深い山と森、透明度が高い水——。それらに魅了される人は多い。また、三重県熊野市に接していて、海まで車で約30分という好立地も特徴だ。海に接していない奈良県のなかで、最も海に近いと言えるだろう。
そんな下北山村に、なんと10代の頃に魅せられアウトドアで訪れて以来、30年以上通い続けているのが、『ソトコト』編集長の指出一正さんだ。今回、メディアアーティストの市原えつこさんを案内することになった。
寒暖差や水の恵みがある下北山村でしか栽培できないと言われている特産物の野菜が「下北春まな(しもきたはるまな)」だ。生産者の一人である西岡道則さんは「葉ものなのに旨みがあって味が濃く、個性の強い野菜です。村では漬物にしてご飯をくるむ『めはり寿司』という郷土料理にして食べます。これが、食べ過ぎてしまうほどおいしいんです」と笑う。
昔は村が“陸の孤島”だったため、この地域だけで消費されていたが、約10年前から西岡さんが普及活動を始めたことで、現在は県内各所で販売され、ソフトクリームや麺類などにも加工されている。「ニーズがもっと高まれば、雇用が生まれ若者が定住できる」と西岡さんは意気込む。「下北春まなは、一般的な農閑期の冬季が旬だから、塩見直紀さんが提唱する『半農半X』が実践しやすいですね」と指出さん。
村の面積の、実に92% を覆っている山林。『スカイウッド』はそれを活かすため『下北山村林産加工施設』の運営のほか、建物の内装、家具製作などを担っている。同社の代表・本田昭彦さんは、2000年に結婚を機に移住。この村の木に魅せられ、木の仕事を始めた。
本田さんが「林業会社が伐採した木や買い付けた木をここに運び、製材して建築材料や木工材料にしています。地域にも開いていて、村民が自分たちで切った木をここで製材することもできます。“木に関する相談所”を目指しているんです」と説明すると、アーティストである市原さんは興味津々。「下北山村ではセルフビルドやDIYが盛んだと聞きました。ここが村のクリエイティビティに貢献しているんですね」。
「おしゃれなスペースが!」と驚く市原さん。「元保育園の建物を活用したコワーキングスペースです」と指出さんが案内すると、市原さんは「クリエイターの地方移住において、コワーキングスペースや作業できるカフェがあるかどうかはポイントですね」。
管理人で地域おこし協力隊である仲奈央子さんが、ここの2つの機能を教えてくれた。企業や個人事業主が1カ月単位で利用できる個室のレンタルオフィスと、村内外の人が集まることができる共有スペースだ。
「むらコトアカデミー」の開催以来、指出さんと親しくしている南正文村長も登場し「お試し移住もできます。ここで仕事をして、隣にある移住体験施設にお泊まりいただけるんです」と説明。「関係人口をつくる拠点になっているんですね。村は小規模で手の届く範囲だからこそ、創造性が生まれやすい気がしています。こんなところで仕事がしたいです!」と市原さん。
村の移住や関係人口へ向けた取り組みは、実を結び始めている。東京生まれ・東京育ちで『リヴァ』に勤める森田沙耶さんは「むらコトアカデミー」を機に社内で村での新規事業を立ち上げ、東京からやって来た。彼女が担当する「ムラカラ」とは、うつなどの疾病で離職や休職をしている人に向けた宿泊型転地療養サービスだ。シェアハウスに滞在し、徒歩5分圏内の温泉施設を利用したり、メンタルケアのサポートを受けたりして、心身を癒すことができる。
「療養はもちろん、自分を見つめ直す期間にもしていただきたいんです。訪れた方の多くは、村のみなさんが自分の手で何かを生み出していることに刺激を受けています」と森田さんが話すと、市原さんは「地方で“資本に頼ることなく、自分たちの力でどうにかしている人”を見て視野が広がった経験があります。療養だけでなく、いろいろな生き方を提案できるのがすばらしいです」と共感した。
2017年に夫婦で下北山村へ移住したのが、小野正晴さんだ。ハネムーンで約3年をかけて世界を旅し、ホームステイやファームステイを通じて自ら暮らしをつくっている人たちと出会い、帰国後そういう暮らしができる場所を探してこの村にたどりついた。夫婦で地域おこし協力隊を3年間務めた後、現在は一棟貸しの宿『山の家 晴々(はるばる)』やカフェ『マキビトcafé』を始めている。小野さんは、村の木をセルフカットして運び、カフェをセルフビルドした。「できることがだんだん増えてくるのがおもしろい。最高の遊び道具を与えてもらっています」。
カフェに入り「木の家だから、呼吸がしやすい感じがします」と市原さん。指出さんも「店内と外の環境のギャップが少ないんでしょう。村民と役場の方もシームレスにつながっているようですし、村全体がそうですね」と話すと、市原さんも「仕事と生活がシームレスだと感じました」と返した。
「鬼の村へようこそ」と出迎えてくれたのは、61代目当主である五鬼助(ごきじょ)義之さん。下北山村には前鬼(ぜんき)という集落があり、その名を持つ鬼が暮らしていた伝説が残っている。その前鬼と妻の後鬼(ごき)が修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)と出会い、修業をし、人間の名前を授けられた。その名字が「五鬼助」で、役行者は彼らの5人の子どもに対して「宿坊を建て、訪れる人を守り導くお世話をしなさい」と命じたという。その一人の末裔が五鬼助さんというわけだ。明治初期、5つの宿坊があったが次々となくなり、五鬼助さんの宿坊『小仲坊』だけが現在も残る。
「鬼の末裔と聞いて目が丸くなってしまいました。行くまでは半信半疑でしたが、1000年以上続いている家系図や数百年の歴史を持つ建築物を見せていただき、こんなにちゃんと残っているんだ! と猛烈にリアリティが湧きました。不思議なところですね」と市原さん。
改めて下北山村をまわり、「なぜこんなにこの村が好きなんだろう、と思ったら、今日会ったみなさんが答えを言ってくれました。『ここでの暮らしが最高です』と。この村の開かれた雰囲気がいいですね」としみじみと話す指出さん。
初めて村を訪れた市原さんは何を感じたのだろう。「みなさんがいいお顔をしているのが印象的でした。それぞれに生きざまがあって、『やりたい』と思ってからやるまでのフットワークが軽い。材木などの資源があったり、行政との距離感が近かったりして、やりたいことをやるのに壁がなく未来を感じました。そういうオープンなところと、鬼の伝承などのミステリアスなところが同居していて、噛むほど味がでてきますね。指出さんが毎年通っている理由がわかりました」。
市原さんが、この村を再訪する日は近いのかもしれない。都会との差を痛感しながら「クリエイターの移住先として有望なところですね」と微笑んでいた。