STORY ストーリー
奈良県の東部にある宇陀市(うだし)は、山や畑が広がり、開けた空のもと大きな気持ちになれるところだ。ここは、薬草のまちとして知られている。宇陀で皇族・貴族の男性が薬効の大きい鹿の角を獲り、女性は薬草を摘む「薬猟(くすりがり)」をした日本初の記録が『日本書紀』に残されているからだ。薬文化の発祥地でもあり、製薬企業の創設者を何人も輩出している。
そんな宇陀の薬草文化や発酵などの食文化に魅せられて2017年に奈良県へ移住したまえだちさとさんが、全国各地の薬草を研究している新田理恵さんを案内することに。以前からお互いの存在を知っていて「お会いしてみたかった」と話す二人。すぐに、話に花が咲いた。
奈良県で特に栽培されている薬草が、大和当帰(やまととうき)。17世紀からこの地に野生していた薬草で、根の部分は当帰芍薬散などの婦人薬に、葉の部分は入浴剤やお茶、加工食品などに使われている。
二人は、大和当帰を育て、さらにそれを使った商品を製造・販売している『ウェルネスフーズUDA』の山口武さんを訪ねた。保管されている大和当帰の立派な根や大量の葉を目の当たりにし、セリ科の強い香りを感じながらお話を聞いていると「土で育まれたもので体をつくるのだ」という当たり前のことが腑に落ちていく。
薬草を“食”でも体験することにし、山口さんが営むカフェ『ヒルトコカフェ』でランチ。大和当帰の葉を練り込んだ包み焼きハンバーグなどを堪能した。
まえださんは「お酒も大好き」と話す新田さんを、奥大和のハーバルクラフトビール『奥大和ビール』のタップルームに案内。飲み比べができ、異なる3種類を二人で味わった。「めっちゃおいしい! どれにも個性があっておもしろいです。例えば黒ビール『SPICE DARK』は、一般的には濃厚な印象の黒ビールがハーブによってこんなに華やかになるなんて衝撃……。代表の米田義則さんの挑戦力とセンスが感じられて、飲食のプロにもおすすめしたいです。米田さんから『ビールが苦手な人も飲みやすい』と聞きましたが、納得の味わい」と、新田さん。
「宇陀市の薬草を知ることができる見所はたくさんあるのですが、外せないのがここです」とまえださんが紹介したのは、日本最古の私設薬草園『森野旧薬園』。ここで薬草の栽培管理をし、地元で“薬草博士”として知られる原野悦良さんが出迎えてくれた。
園内で育てられている薬草木を解説されたり、隠居した森野藤助(別名は賽郭)が日本最古の原色薬草図譜『松山本草 全十巻』を編した「桃岳庵」を見たりした新田さんは、感無量の様子で「ほかの季節にも訪れたいです。また一緒にまわりましょう」と、まえださんと約束。原野さんを慕うまえださんは「ここには何度も来ていますが、新田さんだからこそ引き出せるお話があって新鮮でした」と話した。
『森野旧薬園』がある松山地区は、江戸時代に建てられた風情ある町家が並び、2006年に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。『久保本家酒造』もその一つ。蔵元の久保順平さんから説明を受けながら、試飲を楽しんだ。
同地区に建つ築120年の古民家のゲストハウス『奈の音』では、薬草茶を味わいながら、移住してこのゲストハウスを開いた前真司さん、由美子さん夫妻の話を聞く。古民家が好きでこの地へやってきた夫妻だが、今は薬草文化に親しみ、薬草観察ツアーなども企画開催している。「みなさんが自然体で薬草をさまざまな形で取り入れ、愛でていらっしゃる。何より、自分たちが楽しんでいるのがいいですね」と新田さん。
宇陀市では移住者が増えている。まえださんと同年に移住し、起業塾で同期だったという安部史織さんもその一人。「私の半分は馬でできていて、私から馬を取ったら枯れてしまいます」と笑う安部さんは、北海道での馬の仕事を経て宇陀市へやって来た。現在『馬小屋Abii(アビィ)』を運営し、ホーストレッキングなどの体験プランを提供している。
体の無駄な力を抜き、馬に体を委ねるのが乗馬のコツだ。初乗馬を体験した新田さんは、その様子を「自分のあり方が問われるところが、まるで瞑想みたい!」と表現。まえださんは「新田さんは豊かな感性と繊細な表現力をもっていますね」と驚いていた。
全国各地の薬草を見て回っている新田さんの目に、宇陀市はどう映ったのだろう。「一つひとつのスポットが魅力的で、長年積み重ねてきた人々の知恵が色濃く残っていて衝撃でした。昔の文化が今もなおこんなに残っているのは、ほかのまちにはないと思います。芯の通ったいいものがあるまちですね。関わっている人の思いや、歴史や文化をもっと知りたいです。また、ここは時間の流れがゆるやかで、自分と向き合って『これからどういう生き方をして地域と関わっていこうか』と考えられました」。
専門家から見ても魅力的な薬草のまち、宇陀市。土地の力に加えて、人々が暮らしや生業に取り入れている“人の力”こそが、訪れる人の心と体を癒すのだと感じた。